今回は過去のブログで書いた、かつての名医のお話しをさせて頂きます。
主役は董奉(とうほう)先生です。
董奉とは
この御仁は、西暦220年頃つまりは三国時代の人物です。
三国志の中には、有名な医者である華佗(かだ)という人物が出てきますが、それ以外にも当時は結構な名医がおりました。前述の華陀・今回の董奉・そして皆さん風邪の時に飲む葛根湯の処方を作った張仲景(ちょうちゅうけい)の三人は「建安三神医」と呼ばれておりました。
董奉さん、もともと役人でございまして、仕事を途中で引退して医学の道に進みました。士變(しへん)という州知事の難病を救ったことで、当時は有名になりました。そしてこの御仁は、清廉な人物だと言われています。その清廉さを象徴する「杏林」という言葉の由来となったお話しです。
「杏林」の物語
昔々の220年頃、董奉さんは、患者さんからお金を頂かない名医という事で評判になりました。その代わりに、董奉さんは患者さんにやってもらったことがあります。病気の重い患者さんが治ったら、アンズの苗木を5株、軽い人なら1株を山に植えてもらっていました。
そのアンズが熟す頃になると、実を倉庫に置いておき、自由に人々は穀物と交換していました。時には、アンズを盗む人がいるため、「盗む奴には、虎が襲い掛かるって食われてしまう事があるので、気を付けてね。」なんて軽い脅しのジャブを与えることもあり、実際盗んだ家族が虎に襲われ、董奉さんに「ごめんなさい」したこともあったそうです。
そんな董奉さん、交換して手に入れた穀物をどうしていたかというと、貧困救民のために使っていたそうです。そんなところから「杏林」は、医者のあるべき姿という言葉になりました。
めでたし、めでたし。