漢方放浪記

小田原・箱根で漢方放浪記②

喧騒を離れ、御幸の浜へ行く。

小田原自体はそこまで喧騒は無いんですけどね。タイトル的に喧騒を使いたかっただけです。

小西薬局さんからものの8分くらいに海があります。そこが御幸の浜です。かつて明治天皇陛下夫妻が、この浜において地曳き網漁をご覧いただいたということで、「御幸の浜」と称される様になったそうです。

ここはいい感じに広々してます。まさに海って感じ。ちょうどお昼出来だったこともあり、近所に住んでいる人や働いている人が弁当を持って海を見ながら食事をしているという、なんとも微笑ましい風景が見られた。

ハトも砂浜に横たわり日向ぼっこをしていました。もしかしたら、産卵後の孵化をさせるのに温めていたのかも・・・と思いつつ御幸の浜を後にして、箱根へと向かった。

小田原城つながりで、早雲寺へ行く。

ホテルで泊まろうとした時に、ふと「早雲寺800m」と書いてある木の案内板に目が止まった。翌朝早速行って見ようと計画を何となく入れてみた。特に何があるかも調べずに。翌朝ホテルから早雲寺に行く道すがらに、別のホテルがあってふと覗いてみたら灯篭を見かけた。よくよく見てみると、「旧勝海舟邸灯篭」と書かれておりましたため、有難く写真に収めておきました。

勾配のきつい坂を少し登ると、平坦な道に辿り着き「早雲寺」!!と大きく書かれた看板の通り歩いて行くと墓地が見えてくる。歩みをさらに進めると「早雲禅寺」と掲げられた山門に着きました。山門の軒丸瓦にも北条家の「三つ鱗紋」があったので間違いはない。ここは地元の人や檀家さんが集う様な場所で、観光をする様な方はあまり散見できなかった。ここのお寺には北条五代をお墓があり、それを参ろうする時におもむろに目に入った明るい木製の看板に「二代秀忠公侍医 曲直瀬家 今大路道三玄鑑」と書かれていた。一端にも漢方薬と携わる者として、曲直瀬家の存在は気になってはいたが、まさかこの様な場で縁を得られるとは考えにも及ばなかった。

今大路道三は、日本の超有名漢方医・曲直瀬道三の3代目です。秀忠が京へ上洛の際に同行したが、病人の治療があるため江戸へ引き返す途中、箱根で体調を悪くし早世したそうです。漢方界の大先輩に挨拶を済ませ、北条五代の墓参をし早雲寺を後にしました。

そのあとは、箱根の関を見に行こうと思ったが生憎の雨!風!濃霧!3m先が見えない天気により、関所まで行ったのは良いものの、参観もせずに引き返した。悔しいので写真だけは撮った。

天候が悪い中、観光するのも大変なので、そのまま帰宅の途につく。その時にはすでに天気は晴れており、不貞腐れながら行きつけの飲み屋さんで飲んでいた。

漢方って本当に面白いですね!無理やりの結びですが、ふとした旅行の中に自分がやってきたことがあると何かしらの啓発を受ける気がします。ぜひ、旅の中で漢方を探してみてください。

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